21/10/29 04:20

あったかいね(^_^)

北アルプスは真っ白です。尖った峰は何という山?

調べてみたら白馬槍ヶ岳(2903m)でした。槍ヶ岳という名前の山は3つあります。
これは小川村のアルプス展望広場で撮影しました。道の駅で美味しいおやきを買って帰りました。

薪ストーブに火が入りました。
今年は灯油が高いので薪をできるだけ利用したいと思います。
薪はここでは無料で手に入り、燃料としてはとても良いのですが準備に手間がかかります。
すぐに燃え尽きてしまうので大量に必要です。

石油ストーブにあたることはないトラちゃんですが、薪ストーブは大喜び。
脳からアルファ波が出ています。

その顔の拡大(笑)

 

高級な天然シメジが大量に!!(*^o^*)/
落ち葉に埋もれていて、色が地味なので見つけるのは至難のワザです。
見つけた瞬間には夢か!?と思いました。
まさか本シメジでは!? 本シメジに出会ったことは一度もありません。天然物は松茸よりも希少だそうです。
近年は栽培に成功しているのでスーパーに「大黒シメジ(京都産)」という商品名で売られています。
お値打ち品で美味しいので買って食べてみてください。

これは残念ながらシモフリシメジでした。
本シメジには負けますが美味しいキノコです。少し黄色っぽいのが特徴。
これが真っ白だったりピンクっぽいのは毒キノコ(ネズミシメジ・イッポンシメジ・クサウラベニタケ)
ですが、死ぬほどの猛毒ではありません。

洗って鍋に入れたところ。こんなにいっぱい!
火を通すとかさが半分に減ります。全部まとめて酒蒸しにして冷凍保存しました。
洋食にも合います。ポタージュスープに入れてパンのおかずにしました。

健康的なお菓子。
油で揚げたカボチャにこうせん(はったい粉)黒砂糖を混ぜた砂糖。
簡単ですが、とても美味しい。緑茶にもコーヒー紅茶にも合います。
市販のお菓子は添加物がたくさん入っているので敬遠です。

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21/10/15 01:18

今年の初ミカン(^_^)

みかんが安くなってきました。甘くてとても美味しかった。

 

ヌメリスギタケモドキをまた見つけました。
この前の日の2日後、すぐ横にありました。
袋がいっぱいでずっしり重い。見事に大量収穫です^^¥
これは3年前に覚えたキノコです。最初はなんだか無気味で毒々しいなと思ったんですが、似た毒キノコはないので見分けは簡単です。
味はナメコよりも上等で味噌汁に最適。すき焼きにもグッドでした。
もったいないので少しだけ食べて、残りは冷凍保存しました。

味噌汁といえば、これ。 間引き菜ほど美味しい物はありません。
これは赤カブですが、間引かずにそのままにしているとピンポン玉より小さい蕪しかできません。
プロの農家が作った物は湯呑み茶碗ほどの大きさになります。

最後のキュウリです。もう大きくならないので収穫しました。キムチ和えにして食べました。

さて、またまたキノコが出ました^^¥
隣家の土地なんですが当分家が建つ予定はありません。うちとの境界線の1m向こう側です。
何年ぶりかのチャナメツムタケ。この場所に出るのは初めてです。来年から毎年出るのを期待できます。
2−3本見つけたら、その周囲で大量収穫!!
うどんなど和食に最適の、とても美味しいキノコです。
これは似た毒キノコがあるので上級者向けです。

 

読書の秋のその後です。
この前の箱が立派すぎる本、読みました。
箱が好きなのは猫ですね(笑)うちのは本も好きで、本棚で爪とぎして貴重な本を何冊もボロボロにしました(~_~;)

箱に中身が負けてるかな?と思いましたが、わかりやすい文章で結構面白かった。
後ろ半分は英語でした。元々はアメリカ向けに書いた本だそうです。英語の勉強にも良さそうだ(汗)
最近吉田茂研究に熱中していますが、彼の思想が必ずしも良いとは思いません。良いのは半分ぐらいでしょうか。

高校時代は世界史も日本史も最低の成績だったので、今頃になって少しずつ勉強し直しています。
学校の勉強は嫌いでしたが、今はマイペースで好きな本をゆっくり読めるので楽しいです。勉強ではなく遊びと思えば良いんですよね。
しかし、あまりにもゆっくりで行ったり戻ったりでなかなか前に進みません。
世界地図を見て旅行に行った気分になっています。

ちょっと気になったので、吉田茂が大使をつとめていた頃のイタリアと周辺諸国の事情をネットで調べてみました。
戦争の話ばかりで嫌になりました。イタリアのすぐ横のバルカン半島は、今も昔も複雑な事情なのですね。
北アフリカ諸国との関係が深かったことにも驚きました。
戦前の日本と中国の関係に似ています。
なんとエチオピアまで! エチオピアと戦争をしていました。明治時代の頃からです。そして第二次大戦まで続く。
当時は飛行機も自動車もなかったし、船で行ったのでしょう。調べてみたらスエズ運河は明治初期の頃には開通していたのでした。
ちなみに日露戦争のときのロシア艦隊も、はるばるヨーロッパのバルト海から来たらしいです。これは大変なハンディですね。
当時まだロシア極東には造船所も軍港もなかった。しかも冬は凍ってしまうので船は出られません。

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